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名古屋高等裁判所 昭和53年(う)175号 判決 1979年2月14日

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役三年に処する。

原審における未決勾留日数中三〇〇日を右本刑に算入する。

理由

本件控訴の趣意は、岐阜地方検察庁検察官検事難藤務名義の控訴趣意書に、これに対する答弁は、弁護人飯野豊治名義の答弁書に、それぞれ記載されているとおりであるから、ここにこれらを引用する。

検察官の所論は、要するに、原判決は、本件本位的及び予備的訴因にかかる殺人の公訴事実のうち、被告人が、原判示被害者岩田和巳に対し、予備的訴因記載の各暴行を加えた事実を認めたが、被告人が、当時、同人に対する殺意を有していたとは認められず、かつ、右各暴行と同人の受傷及び死との間の因果関係も肯認できないとして、結局、予備的訴因に含まれた暴行罪の限度で被告人を処断した。しかしながら、関係証拠を総合すれば、被告人の原判示被害者に対する各暴行と同人の受傷及び死との間に因果関係の存することは明らかであり、また、被告人が右各行為に出た際、いわゆる未必の殺意を有していたことも優に肯認されるのであるから原判決は、事実誤認の違法を冒したものである、というのである。

所論にかんがみ、記録を調査し、当審における事実取調べの結果をも加味して検討するに、

一  原判示各暴行と和巳の受傷及び死との因果関係に関する所論について

記録によると、本件本位的訴因にかかる公訴事実の要旨は、「被告人は、昭和五一年六月二〇日ころの午後六時ころ、岐阜県土岐市妻木町九八九番地の四所在の有限会社昭栄製陶社宅内において、内縁の妻藤本恵美子の連れ子である岩田和巳(昭和四八年一一月一九日生)に対し、未必の殺意をもって、その腹部を数回強く足蹴りする暴行を加え、その結果同人を、昭和五一年六月二七日午後四時二五分ころ、同市駄知町一七九一番地の三所在土岐市休日診療所において、胃及び横隔膜破裂に基づく化膿性胸膜炎により死亡させて殺害した。」というのであり、また、原審第七回公判において予備的に追加された訴因にかかる公訴事実の要旨は、「被告人は、昭和五一年六月一八日ころの午後五時二〇分ころ、右社宅内において、和巳に対し、未必の殺意をもって、その頭部を一回手拳で強打し、更に、同月二〇日ころの午後六時ころ、同所において、右同様の殺意をもって、その腹部を数回強く足蹴りする暴行を加え、その結果同人を、同月二七日午後四時二五分ころ、前記診療所において、硬膜下出血による脳圧迫により惹起された脳機能障害により死亡させて殺害した。」というのであるところ、原判決は、右本位的訴因については、被告人の未必的殺意も、右足蹴り行為と和巳の胃及び横隔膜破裂との間の因果関係も認められないとしてこれを排斥し、さらに、右予備的訴因については、被告人が、同人に対し、同月一八日ころの午後五時二〇分ころ、「その頭頂部中央付近を一回強く手拳で殴打」し(第一の事実)、また、同月二〇日ころの午後六時ころ、「その腹部を一回強く足で蹴り、さらに、倒れた同人の腹部を二、三回踏みつけるように足蹴りする」(第二の事実)など、右訴因の記載に照応する各暴行を加えたこと、右訴因記載のころ、同人が死亡したこと、同人の頭部に致死原因となり得る硬膜下出血が存したことなどの事実を認めたが、前同様、被告人の未必的殺意については、これを認めるに足りる証拠がなく、また、右各暴行と同人の受傷(硬膜下出血)及び死との間の因果関係も肯定できないとし、結局、被告人に対しては、右予備的訴因に含まれた暴行罪の限度でのみ刑責を認め、被告人を懲役一年六月(未決勾留日数三〇〇日算入)の刑に処したことが明らかである。

しかし、記録並びに当審における事実取調べの結果によると、原判決が、被告人の殺意を否定したこと、また、本位的訴因にいわゆる被告人の暴行(原判示第二)と死因(胃及び横隔膜破裂)との因果関係を否定したことは、正当であり、更に、予備的訴因については、右暴行と死因(硬膜下出血による脳機能障害)との因果関係の存在を否定した判断は、是認できるが、和巳の死は、被告人が同人に加えた原判示第一の暴行(六月一八日ころの午後五時二〇分ころの頭部殴打行為)が一因となって惹起された硬膜下出血による脳圧迫によって惹起された脳機能障害に基づくものと認められ、右暴行と同人の死との間の因果関係は、これを優に肯認することができるにもかかわらず、これを否定した原判決は、右の点において事実を誤認したものと認められる。すなわち、原判決は、その「罪となるべき事実」として、被告人が同人に対し、前記のごとく、二回にわたり暴行を加えた事実を認定したうえ、さらに、「殺人罪の訴因に対し暴行罪のみを認めた理由」の項において、(1)同人が同月二三日に第一回のけいれん発作を起こしてから、同月二七日午後四時二五分ころ死亡するに至った経過(第二、一の1ないし4)、(2)同人の屍体の左頭頂部に、致死原因となり得る約三〇ミリリットルの硬膜下出血の存したこと(第二、二)などを認定したが(以上の認定は、同人の頭部に加えられた打撃の位置に関する部分を除きすべて肯認できる。)、他方、右硬膜下出血は、被告人の原判示暴行によってではなく、同月中旬以前に、同人が、多治見市内の路上で転倒した際に生じた傷害に起因する疑いが濃厚であるなどとして、被告人の暴行と同人の受傷及び死との間の因果関係を否定した(第二、四)ものである。しかしながら、まず、原審で取り調べた鑑定人勾坂馨作成の鑑定書(以下、勾坂鑑定という。ただし、和巳の死因に関する部分を除く。)、同斉藤銀次郎作成の鑑定書及び同人に対する原裁判所の尋問調書(以下、両者を一括して斉藤鑑定という。)などによれば、(1)和巳の死亡の直接の原因は、前記硬膜下出血による脳圧迫によって惹起された脳機能障害であること、(2)同人の屍体の前頭部には、その髪際を中心として手掌面大の皮下出血が存し、前記硬膜下出血は、右皮下出血を生ぜしめた外力の作用によるものと考えられること、(3)右皮下出血を生ぜしめた外力は、作用部位に角や稜のない鈍体によるものと推定され、右出血が手拳によって生じたと考えて矛盾はないこと、(4)右外力の作用した時期は、六月二三日の第一回ひきつけより以前、長くても一週間以内と推定されること、などの事実が認められ(なお、勾坂鑑定及び原審証人勾坂馨の供述中、和巳の死因に関する部分は、右斉藤鑑定等と対比し、採用できない。)、また、《証拠省略》を総合すると、(5)原判示第一の暴行は、正座する和巳の前頭部髪の生えぎわあたりを手拳で強打したもので、被告人が同人に加えた一連の暴行の中では、原判示第二の暴行と並んで、もっとも強烈なものであったうえ、打撃の位置、方向が、同人の屍体の頭部皮下出血の位置から推定されるそれと、おおむね一致すること、(6)前記(4)記載の外力が作用したと推定される六月二三日以前の一週間内には、和巳の頭部に対し、他に、右受傷の原因となり得るような外力が加えられた形跡がなく、被告人自身も、原審及び当審公判廷において、和巳の死が、自己の右殴打行為により惹起されたとしか考えられない旨供述していること、などの事実が明らかである(《証拠判断省略》)。しかして、右(1)ないし(6)の各事実に、原判決が認定し、当裁判所がこれを是認する前記の諸事実をも総合して考察すると、同人の死を惹起した前記硬膜下出血の少なくとも有力な一因は、被告人の原判示第一の暴行にあったと断ぜざるを得ない。なお、斉藤鑑定は、原判示第一の暴行から和巳の死までの間の症状の推移について、「比較的小さな血管が切れて生じた硬膜下出血の場合には、受傷と発病との間に時間的間隔があるのが普通である。本件においては、六月二三日に、受傷後はじめて発病して脳圧迫の症状を呈し、その後、いったん止血して小康状態を保ったが、同月二七日に死亡する直前の段階で、転倒等何らかの体動により、大量に出血して、脳圧迫による脳機能障害を生じた。」旨推定しているが、右推定は、前認定の事実関係に照らして合理性があり、十分首肯するに足りる。これに対し、当審において新たに提出された溝井泰彦作成の鑑定書(以下、溝井鑑定という。)は、和巳の死因が硬膜下出血であったとの点については、斉藤鑑定と見解を同じくするが、右硬膜下出血の原因となった外力の作用した時期等については、いささか見解を異にし、六月二三日、和巳が第一回のひきつけを起こす直前に、同人の身体に何らかの外力が加わったのではないかとの疑問を提起しているが、右鑑定も、被告人の原判示第一の暴行と硬膜下出血との間の因果関係を否定する趣旨ではないばかりでなく、六月二三日のひきつけ発作の直前に和巳の身体とくに頭部に、同鑑定が懸念するような外力が加えられたとの点については、被告人が、当審公判廷において極力否定しているところであるから、右溝井鑑定は、斉藤鑑定等による前記認定を左右するに足りるものではない。他方、原判決は、前記のように、和巳の硬膜下出血は、同人が、以前、多治見市内の路上で転倒した際に生じた疑いがあるとし、この点を、被告人の原判示暴行と同人の受傷及び死との間の因果関係を否定する有力な根拠にしている。たしかに、同人が、本件以前に、同市内の路上で転倒して、額にこぶを作った事実のあったことは、証拠上、原判決が認定するとおりであるが、同人が同所で転倒した時期は、六月一四日より以前であったことが証拠上明白であって、斉藤鑑定によって明らかな、致死原因となり得る外力の作用した時期(前記(4)参照)と符合しないのみならず、右転倒の際に生じた外傷も、解剖時に同人の屍体の頭部に存した前記頭部皮下出血とは、その部位、大きさ等を明らかに異にしていることなどからみて、原判決の右説示は、とうてい是認することができず、その他、記録を精査検討しても、同人の死因等に関する前記の認定を左右するに足りる証拠は見当たらない。

以上のとおり、原判決は、被告人の原判示第一の暴行と和巳の受傷及び死との間の因果関係をたやすく否定した点において、事実を誤認したものといわざるを得ず(なお、原判示第二の暴行と右受傷及び死との間の因果関係については、これを肯認すべき的確な証拠が見当たらないから、これを否定した原判決の判断は相当である。)、右誤認が判決に影響を及ぼすことも明らかであるから、原判決は、この点において破棄を免れない。

論旨は、右の限度で理由がある。

二  未必の殺意の存在に関する所論について

しかしながら、原審において取り調べられたすべての証拠を総合し、かつ、当審における事実取調べの結果を加味して検討しても、本件において、被告人が、未必的にせよ殺意をもって原判示各所為に及んだと断ずるには足りず、原判決に、所論の事実誤認があるとは認められない。たしかに、本件については、原判示各暴行が、わずか二歳半の無抵抗な幼児の身体の枢要部に向けられたかなり強烈なものであったこと、被告人が、かねてより和巳に対し、憎しみの情を抱いており、本件以前にも、しばしば、激しい暴力を振るったことがあること、被告人は、本件により取調べを受けるに至った直後から、捜査官に対し、一貫して未必的殺意の存在を自認する供述をしていたことなど、おおむね、検察官所論に副う事実を看取するに難くはないのであって、これらの事実からすれば、被告人が、少なくとも未必の殺意をもって原判示各所為に及んだのではないかとの疑いは、これを否定することができないが、他面、被告人は、原審及び当審各公判廷において、右殺意を否認する一貫した供述をしているところ(なお、検察官の所論は、被告人が、原審公判廷において、一部殺意を認める供述をしている旨主張するが、右所論指摘の供述部分を、その前後の部分と対比し、仔細に検討すると、右は、必ずしも、所論の主張するように、被告人が自己の未必の殺意の存在を自認した趣旨ではないと認められる。)、証拠によると、原判示各暴行は、いわゆる兇器を使用することなく、素手又は素足によって行われ、しかも、瞬間的ないしごく短時間内に終了していて、右行為の態様自体から、殺意の存在を強く推認させるようなものではないこと、被告人の捜査段階における供述は、被告人が当審公判廷において供述しているように、自己の行為によって生じた和巳の死という事実を突きつけられたうえ、理詰めの質問に対してなされた疑いがあることなどの事実も認められ、これらの事実をも総合して考察すると、被告人が未必的にせよ殺意をもって原判示各暴行に及んだと断ずるには、未だ合理的な疑問が残るというべきであり、結局において、これと同旨のもとに、被告人の殺意を否定した原判決の認定は相当である。論旨は理由がない。

よって、刑事訴訟法三九七条一項、三八二条により、原判決を破棄したうえ、同法四〇〇条但書に則り、当裁判所において、更に判決する。

(罪となるべき事実)

被告人は、昭和五一年三月ころから同じ職場で働いていた藤本恵美子と親しくなり、同年五月二二日ころから岐阜県土岐市妻木町九八九番地の四所在、有限会社昭栄製陶社宅で、右恵美子並びにその実子である岩田和巳(昭和四八年一一月一九日生)及び同岩田健治とともに同棲するに至ったものであるが、和巳が自己になつかず、よく泣くなどしたため、同年六月初ころから度々せっかんすることがあったが、近隣の者から継子いじめをしているとの風評が立てられるに至って、同人の些細な不始末を見るたびに、同人に対する憎しみの情を強めていたところ、同年六月一八日ころの午後五時二〇分ころ、勤務先から帰宅するや、前記社宅内被告人自宅の台所において、和巳が泣いているのを見て、激しい憎悪を覚え、とっさに、同人に対し、その頭部を一回強く手拳で殴打する暴行を加え、さらに同月二〇日ころの午後六時ころ、前同所において、食事中、和巳が御飯を吹き出し又小便をもらしているのをみて、激しい憎悪の念にかられ、とっさに、同人に対し、その腹部を一回強く足で蹴り、さらに倒れた同人の腹部を二、三回踏みつけるように足蹴りする暴行を加え、よって、同人を同月二七日午後四時二五分ころ、同市駄知町一七九一番地の三所在土岐市休日診療所において、右頭部強打に基づく硬膜下出血による脳圧迫により惹起された脳機能障害により死亡させたものである。

(証拠の標目)《省略》

(法令の適用)

被告人の判示所為は、刑法二〇五条一項に該当するので、所定刑期の範囲内で、被告人を懲役三年に処し、同法二一条を適用して、原審における未決勾留日数中三〇〇日を右本刑に算入し、なお、原審及び当審における訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条一項但書を適用して、これを被告人に負担させないこととし主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 菅間英男 裁判官 服部正明 木谷明)

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